最高の人生を生きるには?
こんにちは。
今日は、人生について、私が思う事について書いて見たいと思います。
皆さんは、自分が最高だと思う人生を生きてますか?
(最高の人生とは、自分が実現可能な人生の内、もっとも幸せを感じる事ができる人生を意図してます。)
私の答えは「わからない」です。
その理由は、自分の人生について、あの時こうすれば良かった、またはあの人と比べて自分は〇〇を持っていないなど、不満を上げればきりがなく、そもそも自分にとっての最高の人生が何なのかわからないからです。
でも、私は誰しも最高の人生を生きる事ができるのではないかと思っています。
私が思う最高の人生を生きる上で大切だと思う事は、最高の人生は、未来にあるのではなく、今にあるという事です。
未来に最高の人生があるという考えは、今を最高でないと否定する考えを含むものですが、今を否定したら、最高の人生に辿り着くのは難しいのではないかと思います。
私もよく今を否定して、最高の人生を思い描くのですが、そのような空想からは、人生を改善するような建設的な考えは生まれてこないです。
そして、私は自分にとって最高の人生を実現する鍵は、空想の中ではなく、今の人生の中に隠されていると思うのです。
誰しも、今、自分が選択できるモノの中から、ベストなものを選ぶ事はできると思います。
(ここで言っているベストは、頭で考えてベストだと思うものではなく、自分の幸福感をもっとも高めてくれるものです。また、ベストなものは行動に限った話だけでなく、自分の置かれた環境をどのように解釈するのかといった考え方のようなものも含まれます。)
今、自分の持っている選択肢の中から最もベストだと思うものを選択していけば、今の人生がより良いものになるし、そういった事を通じて、最高の人生を送るために、自分にはなにが必要なのか見えてくるのではないでしょうか。
そして、またそういった学びを重ねて、より良いモノを選択して、行動していけば、その結果が最高な人生という事になる気がするのです。
私は、ブログに書いている通り、仕事以外にも様々な事をやっており、たまに何を目指してこういった事をやってるのかと問われるのですが、ここで書いている通り、今、自分が一番ワクワクする、または幸福と感じる事をやっているだけで、なにか明確な見通しがあって、やっている訳ではないのです。
(もちろん、後から何かしらの意味付けをする事も可能ですが。)
だから、このブログもYoutubeや、英会話のオーガナイズ等もいつまでやるかわからないし、これからも、その時の自分が1番ワクワクする事などをただやっていこうと思っています。
特に大人になると自分の今の気持ちよりも、こんな事をしてどんな意味があるのか、こんな事をしたら周りの人達はどう思うかなど考えて、今の気持ちをないがしろにしてしまう傾向があると思います。
子供の頃は割と何も考えずにこのような生き方をしていたので、それなりに人生は楽しいものでしたが、大人になってから、人生がつまらないと感じた時期もありました。
しかし、このような考えを持つようになってから、また人生が輝き始めた気がします。
人間はなまじ知性が発達し、色々と頭で考えてしまうので、知らず知らずに人生の価値を落としてしまっているのかもしれないですね。
では、また。
息子の反抗期について思う事
こんにちは。
今日もまた最近考えた事を書いてみたいと思います。
前のブログでも書いてますが、私は中学3年生と1年生の息子がいるのですが、今、反抗期に入っていると感じています。
私は、会社で過ごしている時間が多く、また細かいことは妻に任せているので、直接、子供達の反抗的な態度に接する事は少ないのですが、妻は結構手を焼いています。
妻はまた子供の時に反抗期がなかったようで、性別も違うし尚更どうしたら良いのだろうという感じだと思います。
自分の学生の頃を思い出すと、自分にも反抗期はありました。
ただ、それは親に対する反抗心というよりも社会の圧力に対する反抗心だったと思います。
だから、親だけでなく、上の兄弟達に対しても反抗的な態度をとっていました。
今も社会の圧力に対して怒りを感じる事はありますが、大人になり、それを正しい形で表現する方法を学んで来ましたが、学生の時はそれをどう消化して良いか分からずに、自分のイライラを回りに撒き散らしていました。
私は高校1年の時に父を失くしており、私の反発は主に母や兄弟達に向けられましたが、私の母は、1人で子供4人を育てつつも私の反抗に対して大きく動じる事もなく、私の反抗を見守ってくれていたような気がします。
私の反抗には、私の子供達に比べて、人様に言えないぐらい酷い事もあったのですが、そんな中でも私の母はいつも自分を信じてくれているという安心感のようなものがありました。
それと比べて、私は、息子達の反抗的な態度を見ると、世話になっている親に対して生意気だ、または、この子は将来、人様に迷惑をかけない大人になれるのだろうかと心配になってしまいます。
ホントに自分の事は棚に置いて、おかしな話ですが。。。
最近、あるYoutubeの番組で、子供の反抗期について扱っている番組を見ました。
最近は親も先生も社会の大人達が子供に対して甘くなっているようで、反抗期を迎えないまま大人になる子供が増えているようです。
一方で、反抗期には、社会に対して声をあげる練習としての意味があるようで、反抗期を経験してない子供達は、社会に出た時に自分を主張できずに、潰れてしまうという事があるようです。
これは、自分の経験からも大きく頷けるものです。
社会に出ると、時には激しく主張しないと自分や周りの仲間を守れない時が、確かにあるのです。
私の長男は、体育祭の団長や駅伝部の部長などを中学校で経験しているのですが、そこで自己主張する事を学んでいるのかもしれませんね。
それにしても、明らかに息子達の方が悪い場合でも、屁理屈で自己主張してくる態度には頭に来ますが、これも子供の成長には必要という事で、伝えるべき事は伝えつつも暖かく見守っていければと思います。
また、私の母がしてくれたように、子供に「私はあなたを信じている」という安心感を与えられたらと思います。
では、また。
歌がうまい歌手とは?
今日は歌について思うことを書いてみたいと思います。
皆さんは、それぞれ好きな歌手がいると思いますが、 どんな歌手が歌のうまい歌手だと思いますか?
一般的には、男性であれば、玉置浩二さんや久保田利伸さん、女性であればMISIAさん、 スーパーフライの越智さんなどがあげられると思います。
歌のうまさを表すものとして、リズム、音程、声の豊かさ、表現力があると思いますが、上記の方々はそのどれもが高いレベルにあるので、 歌のうまい人だと評価されているのだと思います。
では、私にとって歌のうまい歌手とは、どんな歌手なのでしょうか。
上記の歌手の方々は、歌がうまいと思うものの、私が目指す歌手ではないです。
私が、一番好きな歌手は桑田佳祐さんですが、桑田佳祐さんのような歌手になりたいと思っている訳でもないです し、桑田さんが一番歌のうまい歌手と思っている訳でもないです。 (どちらかというと、桑田さんの曲や人柄が好きなのかもしれません。)
私がこれまでに聞いて一番感動した歌は、子供の合唱です。私の子供たちは、非常に教育熱心な幼稚園に通っており、その幼稚園では合唱祭のようなものが毎年あったのですが、そこで聞いた歌が私が人生の中で一番感動した歌でした。
子供の歌なので、音程やリズムはもちろんずれてますし、表現力というものをまったく感じさせるような歌ではありません。(おそらく子供なので、歌詞の意味もわからず歌っていると思います。)
しかし、曲の世界感がダイレクトに伝わってくるのです。
これは、歌というものを考える上で、非常にユニークな経験でした。
大人になると歌というものを非常に難しくとらえ、歌にリズム感をもっと出したい、音程をきれいにしたい、声を力強く、伸びのある声にしたい、歌詞や歌の世界観を表現したいなど、色んなことを考えてしまうものですが、そういったことをほとんど意識してない子供の歌が私が人生で聞い た一番良い歌という訳です。
自分自身の経験としても、今よりも歌が下手だった時の方が歌をうまく歌えたという事があったりするのです。
ある歌手の人が、歌の神様が下りてくる時があり、そういう時は人を感動させる歌を歌えると聞いたことがありますが、まさにそんな感じです。
(これは笑いも同じかもしれないですね。)
とすると、歌の神様が宿った歌が良い歌で、歌の神様に愛された歌手が歌のうまい歌手ということなのかもしれ ないですね。
結論、どんな歌手が歌のうまい歌手かわからないというのが、今の私の正直な意見です。
歌は非常に奥深いです。だからこそ、長年、歌を歌うことに没頭してきたのかもしれません。
というような事を書きながらも、結局、明日からまた音程やリズム、声、 表現力といった事を意識しながら、歌を練習していくのだと思いますが。。。
いつか歌の神様に愛される歌手になりたいものです。
では、また。
教えることは、教わること
今日は、また最近、私が考えた事を書いてみたいと思います。
私には、4人の子供がいて、上の2人が男の子で、下の2人が女の 子です。
上の2人の子供は、小学生の時にトライアスロンをしており、私がトライアスロンを子供達に教えていました。
私自身は、トライアスロンをやった経験はなかったのですが、なにせ日本では、トライアスロンはメジャーなスポーツではないため、どこかのスクールに預ける訳にもいかず、私が子供達の練習をみていました。
まったくの素人なので、一から、トライアスロンに関する本を読んだり、動画を見たりして、試行錯誤で子供達に教えていました。
幸いな事に、私が子供達に教えた事は大きく的をはずす事はなく子供達は大きな大会で優勝できるレベルまで上達していきました。
もともと、私はヨガや気功など人間の体に秘められている能力を開花させるようなものに関心があり、研究していたのですが、そこで学んだ事がトライアスロンを研究する上でも大いに役立ちました。
また、トライアスロンを研究することで、ヨガや気功に対する理解も深まり、私にとっても大きな収穫があったのです。
しかし、私は自分自身、多くの学びを得ていたにもかかわらず、どちらかという子供達のために教えてあげているといった態度で、子供が自分の言った通りに練習をしない場合には、もう教えてあげないといった事を言っていました。
そういったやりとりが繰り返された事や、子供達が成長し、自分達で考えてトライアスロンの練習をやれるようになった事で、次第に子供達にトライアスロンを教える事はなくなっていきまし た。
結局、子供達も私の手が離れてからは、自分達だけで続けていく事は難しかったようで、トライアスロンをやめてしまいました。
そして、最近フッと、思ったのが、親子関係において、親のこのような態度が親子関係に不和をもたらす一因になっているのではないかという事です。
普通の親は、何度も教えても、子供ができないと、こんなに苦労して教えているのに、なぜできないんだ、または真面目にやらないんだと腹が立つものです。
これは、親の子供に教えてあげているというマインドからきているものなのではないでしょうか。
もし、子供に教えさせてもらっている、勉強させてもらっていると考えたら、どうでしょうか。
そうすれば、子供ができるようにならなくても、真面目にやならくても、子供を責めるような気持ちは出て来ないのではないでしょうか。
(むしろ、自分の教え方が不十分であるとさえ、思うかもしれないですね。)
一番初めのブロクで書いたように私は英会話のコミュニティをボランティアでオーガナイズしておりますが、人のためにやっているとの気持ちもない訳ではないですが、この活動により多くの事を学ばせてもらっているという気持ちの方が大きいと思います。
(だからこそ、3年以上この活動を続けてこれました。)
また、最近は、家で子供向けの英会話教室を開いて、これも無償で教えています。
これらの活動は、多く事を学べる以外にも、学びへのモチベーションを高め、自己肯定感も高めてくれます。
こういった感覚は、このような活動をした人にしかわからないもの だと思いますが、子供達にトライアスロンを教えた経験が、今、このような活動をしている事に繋がっているような気もします 。
宗教には、与える事は、受け取る事というような意味の教えがありますが、これはこのようなことを示唆した教えなのかもしれないですね。
長男はもう中学3年生、次男は中学1年生で、もうすぐ私達の元を巣立っていってしまいますが、これからもなにか私に教えられることがあれば、教えさせてもらおうと思います。
では、また。
正解はない。大切なのは、自分を信じること、そしてベストを尽くすこと。
こんばんは。
早速、今日、考えた事をブログに書いてみたいと思います。
私は、なにか考え事があると、自分の考えをなにか紙に書き起こしたり、または散歩したり、時には公園でボーっとしたりして、その事について深く考えます。
そうすると、大抵、もやもやしていた気持ちが晴れて、ポジティブになります。
今日も、心の中にモヤモヤしていたものがあり、その事について考えていました。
だいたい悩むのはいつも人間関係です。
自分がしてしまった過去の行為について、もっとこうすべきだったのではないか、少し感情的になり過ぎたかもしれない、または自分は人に対して厳しすぎるのではないか、愛情が足りないのではないかと、自己嫌悪に陥ります。
しかし、よくよく考えてみると自分はまだまだ半人前で、自分のやった行為に至らない点があるのは、当たり前なのです。
それをもっとこうすればよかった、自分にはこの部分は足りないなどと、自分を責めるのではなく、逆に人は過ちや失敗を繰り返しながら成長していく生き物で、自分のやった行為が正解でなくても、その時、自分が一番最善であると思うことを信じてやれば、そこには必ずなにかしらの学びがあり、それで良いのだと開き直ることができました。
言い換えると、今、自分にどこか至らない点があっても、経験を重ねて一歩一歩成長していけばいつかはそういった部分も改善されると信じることが大切で、今、できない自分にフォーカスをあてて、悲観的になる必要もないし、自分不信に陥る必要はないのです。
だから、今の自分が正解かどうかではなく、自分を信じ、ベストを尽くすことが大切だと思ったというのが、今日、私が考えた事でした。
私は、ありのままの自分を受け入れて生きてる人が好きです。その人が立派であるか、どうかではなく、自分の良いところも悪いところも、あるがままを受け入れ、自分を信じ、行動している人には、パワーや輝きを感じます。(悪いところを受け入れるというのは、人に迷惑をかけてもなにも思わない人という意味ではありません。悪い事をした時は、それを認め改善できるという意味です。誤解のないよう、念のため。)私もそういう輝きを発しながら生きていきたいのですが、なにか目に見えないバイアスのようなものが心に覆いかぶさっていて、それを一つずつ剥がしていく作業を毎日繰り返しているといった感じです。。。
ということで、たわいもない内容ですが、今日のブログはここまでにしたいと思います。
ご精読ありがとうございました。
ブログはじめました!
こんにちは。Rinと言います。今日から、ブログを始める事にしました。私は、普通の会社に通い、妻と子供4人と暮らしています。また、趣味は、歌と英会話です。このブログでは、私が生活する中で感じている様々な気付きを書いていけたらと思います。ブログを書くことで、自分の考えが深まり、またまわりの人との繋がりも深められればと思っています。どうぞよろしくお願いします。
(以下の他のアプリでも発信してます!)
歌に関しては、以下の通り、Youtubeに自分の歌を乗せてます。
https://youtube.com/channel/UCCoJnHmZuf4AhLyZad9El0w
英語については、以下のグループをオーガナイズしてます。