教えることは、教わること
今日は、また最近、私が考えた事を書いてみたいと思います。
私には、4人の子供がいて、上の2人が男の子で、下の2人が女の 子です。
上の2人の子供は、小学生の時にトライアスロンをしており、私がトライアスロンを子供達に教えていました。
私自身は、トライアスロンをやった経験はなかったのですが、なにせ日本では、トライアスロンはメジャーなスポーツではないため、どこかのスクールに預ける訳にもいかず、私が子供達の練習をみていました。
まったくの素人なので、一から、トライアスロンに関する本を読んだり、動画を見たりして、試行錯誤で子供達に教えていました。
幸いな事に、私が子供達に教えた事は大きく的をはずす事はなく子供達は大きな大会で優勝できるレベルまで上達していきました。
もともと、私はヨガや気功など人間の体に秘められている能力を開花させるようなものに関心があり、研究していたのですが、そこで学んだ事がトライアスロンを研究する上でも大いに役立ちました。
また、トライアスロンを研究することで、ヨガや気功に対する理解も深まり、私にとっても大きな収穫があったのです。
しかし、私は自分自身、多くの学びを得ていたにもかかわらず、どちらかという子供達のために教えてあげているといった態度で、子供が自分の言った通りに練習をしない場合には、もう教えてあげないといった事を言っていました。
そういったやりとりが繰り返された事や、子供達が成長し、自分達で考えてトライアスロンの練習をやれるようになった事で、次第に子供達にトライアスロンを教える事はなくなっていきまし た。
結局、子供達も私の手が離れてからは、自分達だけで続けていく事は難しかったようで、トライアスロンをやめてしまいました。
そして、最近フッと、思ったのが、親子関係において、親のこのような態度が親子関係に不和をもたらす一因になっているのではないかという事です。
普通の親は、何度も教えても、子供ができないと、こんなに苦労して教えているのに、なぜできないんだ、または真面目にやらないんだと腹が立つものです。
これは、親の子供に教えてあげているというマインドからきているものなのではないでしょうか。
もし、子供に教えさせてもらっている、勉強させてもらっていると考えたら、どうでしょうか。
そうすれば、子供ができるようにならなくても、真面目にやならくても、子供を責めるような気持ちは出て来ないのではないでしょうか。
(むしろ、自分の教え方が不十分であるとさえ、思うかもしれないですね。)
一番初めのブロクで書いたように私は英会話のコミュニティをボランティアでオーガナイズしておりますが、人のためにやっているとの気持ちもない訳ではないですが、この活動により多くの事を学ばせてもらっているという気持ちの方が大きいと思います。
(だからこそ、3年以上この活動を続けてこれました。)
また、最近は、家で子供向けの英会話教室を開いて、これも無償で教えています。
これらの活動は、多く事を学べる以外にも、学びへのモチベーションを高め、自己肯定感も高めてくれます。
こういった感覚は、このような活動をした人にしかわからないもの だと思いますが、子供達にトライアスロンを教えた経験が、今、このような活動をしている事に繋がっているような気もします 。
宗教には、与える事は、受け取る事というような意味の教えがありますが、これはこのようなことを示唆した教えなのかもしれないですね。
長男はもう中学3年生、次男は中学1年生で、もうすぐ私達の元を巣立っていってしまいますが、これからもなにか私に教えられることがあれば、教えさせてもらおうと思います。
では、また。