アラフィフおじさんの飽くなき挑戦

本ブログは、アラフィフおじさんが、様々な事に挑戦する中で、感じたことを書き記すブログです。

科学が生む弊害

こんにちは。

また最近考えたことを書いてみたいと思います。

私はアインシュタインに憧れて、理系の大学に進んでこともあり、 科学を重視し過ぎるところがあるのですが、こういった傾向には良 い面も、悪い面もあるなぁと最近感じております。

科学というのは、再現性のあるものを発見したり、多くの事象に共通するものなどを見つける学問だと思うのですが、これはあくまで 一つの仮説に過ぎません。

しかし、世の中では、この仮説がいかにも真実であるかのように語られたり、科学で証明できないものは排除するような風潮があり、私も含め多くの人が科学を信仰し過ぎているような気がしています。
(宗教は科学的でないなどの批判を聞くこともありますが、科学もある種の宗教のようなものだと言えると思います。)

また、科学が示すリスクに対して、世の中が過敏となり、科学が人々の恐れや不安を必要以上に煽っている部分もあるように感じます 。

特に最近は様々な科学データが世の中に蔓延っており、逆に科学と言えば人が信じると考え、都合の良い科学データだけを引っ張り出して人を説得しようとする人もいます。

ここ百年ぐらいは科学によって世の中が大きく進歩したこともあり 科学への信仰が強くなり過ぎているのだと思いますが、まだまだ多 くのことが科学で証明できていないのが事実です。

特に人間の心の仕組みについては科学ではほとんど解明できてない部分だと思います。

例えば、人間にはプラシーボ効果で知られるように信じることで実際に信じたとおりの結果を導くような力が備わっています。

しかし、人間にはこのように素晴らしい力が備わっているにも関わらず科学が発見した一部の仮説に着目して、逆に人間の恐れや不安を煽り、 この人間の信じる力をネガティブな方向に誘導してしまうという側面が科学の弊害としてあるように思う訳です。

また、なにかを定義することは、逆にその定義にあてはまらないものは排除するなど、二元論を生み出すことにも繋がりかねません。

科学の発達により、人が宇宙に行ったり、人々の生活が快適になり 、これまで多くのベネフィットを得てきた訳ですが、科学はまだ世の中の多くのことを解明できてない、また科学は一つの仮説でしか ないということを忘れずに、科学データを盲信せずに、これからも科学とうまく付き合っていければと思います。

では、また。